情報の摂取と排出

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20071023/1193102259
前段の「表現すること=キモい」については考えすぎて混乱してきたので省略。
とりあえず、元の記事の
ブログ | 住 太陽のブログ
を読むまではブログを書くことがキモいなんて考えたことも無かった。


それはさておき。面白いなと思ったのは後半。

食い物であれば口から入って肛門から出ます。

入ったものは出て行かなければなりません。

情報に於いてもそうで、蓄積しっぱなしというのは出来ない。

なので「それが排泄物」なのかもしれないと思っていたとしても出さなければならない。

出すしかない。そこに自己承認欲求とかそうしたものは存在しない。

入れたら出すという生理的なものしか存在しない。

そりゃあ、出すからには認められたいし、褒めてくれれば嬉しいし、誰かの心を揺り動かしたい。

だけれどもその心の揺り動かしがネガティブな方向になってしまったとしても、これはもう申し訳ないとしか言いようがない、自分はこう考えたのだと、こういうふうに見てしまったのだと、脳が演算した結果を出さなければ、自分が自分として生きている理由を失ってしまいそうで怖いから、だから文字で絵画で様々なやりかたで表現をするのかな。と。


「情報=食い物」のたとえが面白いなぁ、と。
で、「快食快便健康の元」と考えてみると、情報を蓄えるときの心がけも非常に大事なことなのではないかと。


たとえばあまりよろしくない例として考えられるのが、
情報源が偏っていたり(情報の偏食)、
まとめサイトはてブコメだけ読んで知った気になったり(情報のファストフード)、
仕事中にはてブで「これはひどい」タグが付いたエントリを読んでニヤニヤしたり(情報のジャンクフード)、


・・・って、全部俺のことじゃん!!だめじゃん!!